引き寄せの法則を“万能の魔法”だと信じていた頃
僕は今も、健康面や経済的な面で課題を抱えている。
それだけに、20代の頃に「引き寄せの法則」という言葉を初めて知った時は、
まるで救いの光を見つけたような気持ちだった。
当時、エイブラハムの本に出会い、「思考が現実を創る」「波動を整えれば願いは叶う」という教えに、
心から惹かれた。
特に印象的だったのが、「68秒間、望む未来を心地よくイメージし続けると、その現実が動き出す」という話。
「よし、これなら自分にもできる」と思って、毎日のように68秒イメージングを続けた。
未来の自分が健康を取り戻し、経済的にも豊かになっている姿を、何度も何度も思い描いた。
イメージングそのものは、気持ちよかった。
希望を持てたし、「よし、これで変われる」と信じられた。
感謝ノートも書いたし、現実の“いいところ探し”もやった。
でも──現実は、思ったほど変わらなかった。
気がつけば、何年も経っていた。
確かに、あの時イメージしていたことが、これから先に形になる可能性はある。
でも、あれだけ「現実化が早まる」と信じて実践していたのに、
健康状態も経済状況も、大きく改善されたとは言い難い。
ふと、疑問が湧いた。
「引き寄せって、ほんとうに“万能の魔法”なんだろうか?」
僕にとって、引き寄せの法則は“最後の砦”だった。
だからこそ、その砦が揺らぎ始めた時、
僕の中で何かが音を立てて崩れ始めた気がした。
「現実が変わらない…」その時、気づいた違和感
引き寄せの法則では、「望まない現実ですら、自分の波動が創っている」と教えられる。
現実に起きていることはすべて、自分の内側の波動や思考の反映──。
だから「現実を変えたければ、ポジティブな思考を選びなさい」というロジックになる。
たとえば、会社に自分にだけ厳しく当たる上司がいるとする。
この場合も、「自分のネガティブな波動が、それを引き寄せた」とされる。
自分の中に何か“共鳴するもの”があるから、そんな現実が現れている……というわけだ。
僕も以前、まさにそういう状況にいた。
前の職場で、ある上司が僕にだけ明らかにきつく当たってきた。
理不尽で、毎日が本当にしんどかった。
でも、他の同僚とはうまくやれていたから、自分にだけ非があるとは思えなかった。
それでも、僕は引き寄せの法則を信じていたから、「この現実を変えたい」と思い、
“ポジティブな思考”を意識的に選ぼうとした。
上司の良いところを無理やりにでも探してメモに書き、出勤前にそのメモを読む事を続けた。
「上司は僕にきついけど、仕事はちゃんと教えてくれる」
「悪気はないのかもしれない」
「その人以外はいい人たちだし、まあいいか」
そんなふうに思おうと努めたけど……正直、苦しかった。
上司と顔を合わせた瞬間、やっぱり嫌な気持ちがこみ上げてきた。
そしてある時、ふと、気づいてしまったんだ。
「これって、自分の“本音の感情”を無視してるだけなんじゃないか?」
「つらい」「苦しい」「嫌だ」っていう僕の本音に蓋をして、
無理やり“いいところ”を探して、自分に言い聞かせていた。
たしかに、ポジティブに見ようとする姿勢は一理あるかもしれない。
でも、それって「ネガティブな自分はダメだ」と心のどこかで否定していたんだよね。
結果として、内側の“本当の感情”が置き去りにされて、癒されることなく残り続ける。
いくら思考でポジティブになろうとしても、現実がまったく変わらないのは当然だった。
無理やりポジティブになることで、自分の中に分裂が起きていた。
「つらい」と感じている本音と、それをなかったことにする思考。
これって、いわばスピリチュアルのトラップなんじゃないか?って、僕は思った。
思考を整える事だけで問題を解決しようとしない
じゃあ、前章のようなケース──
職場で上司に辛く当たられるような状況では、どうすればよかったんだろう?
僕が今、当時の自分に言えることがあるとしたら、まずこれだ。
「その感情を、否定しないであげて」って。
まずは、「苦しい」「つらい」「腹が立つ」っていう
“生(なま)の感情”にちゃんと寄り添うことが大前提。
感情を抑え込んで「思考を整えて…」「波動を上げて…」だけでは、解決できないこともある。
そしてもうひとつ大事なのは、“メタ認知”=状況を客観視すること。
そのうえで、現実的な行動を取ること。
実際、僕も引き寄せの法則的な思考調整では限界を感じていた。
だから、思い切って次のような現実的な対応に出た。
上司との接触をできるだけ避けた。
あえて下手(したて)に出るのをやめて、そっけない態度で接した。
業務でわからないことがあっても、なるべくその上司には聞かず、
話しやすい同僚を頼るようにした。
上司からすれば「なんで私に聞かないの?」と思ったかもしれないけど、
正直、そんなことは僕にはどうでもよかった。
さらに、他の上司にも「直属の上司がどれほど性格が悪いか」をハッキリと伝えた。
そんな毎日を重ねる中で、最終的にはその会社を辞める流れになった。
もちろん、これが「正解のやり方」だったかはわからない。
でも、自分を責めながら我慢し続けるよりも、
自分の心の声に正直になって行動したことは、少なくとも僕にとっては救いだった。
ポジティブ思考だけでは、どうにもならない現実もある。
苦しいのに、それをごまかして「いい所を探さなきゃ」「波動を上げなきゃ」と自分にムチ打つようなやり方は、
本当の意味での癒しにはならない。
「全部、自分が引き寄せた」
→「だから、これも自分のせい」
→「つまり、こんな目に遭う自分が悪い」
──この流れって、もはや“静かな自己否定”なんじゃないかと思う。
本当は傷ついているのに、「自分が悪いから」と自分の痛みにフタをする。
これはもう、“スピリチュアルの名を借りた精神的な暴力”とすら言える。
たしかに、波動は現実に影響を与える。
でも、それですべてを片付けるのは違う。
大事なのは、「感情に寄り添うこと」と「現実にちゃんと対処すること」。
この両輪があって、はじめて“ほんとうの癒し”と“前進”が始まると、僕は思っている。
引き寄せの法則は意識しすぎない方がいい
正直に言うと、もう「引き寄せでなんとかしよう」とするのには、疲れた。
僕の健康はまだ回復していないし、経済的にも決して豊かとは言えない。
もちろん、今この瞬間も、未来に希望は持ってる。
でも、引き寄せの法則で現実をコントロールしようとするアプローチは、もう僕の中ではしっくりこなくなった。
なぜなら──
引き寄せの法則を意識しすぎると、「この現実をなんとかしなきゃ」という
“コントロール欲求”が顔を出してくるからだ。
「この現実、私にとって都合が悪い」
「じゃあ波動を変えて、もっと都合のいい現実にしよう」
この流れは、一見スピリチュアルに見えるけど、
その裏側には“今この瞬間の現実”に対する不満・不足の波動が潜んでいることが多い。
それに、無理やりポジティブになろうとすると、
やっぱりまた感情を無視することになる。
ネガティブな感情を感じているのに、「波動を下げたらダメ」と自分にムチを打つようなやり方では、
本当の意味での癒しにも現実の変化にもつながらない。
もし望まない現実があるなら、まずは現実的にできることがあれば行動する。
それでも対処できないときは、「もう宇宙にまかせよう」と、そっと手放してみる。
そうやってサレンダーするほうが、ずっと心が楽になるし、何よりハートが静かに心地いい。
自分のハートにしっくりくるかどうか。
それが、僕の中でいちばん大切な基準になった。
だから、もし引き寄せのワークが「楽しい」「ワクワクする」「心地いい」と感じるなら、
もちろんそれでいいと思う。
ただ、もしどこかで「無理してるな」と感じるなら、
いったん距離を置いてみてもいい。
スピリチュアルは、魂を自由にするためのものだ。
それが苦しくなったとしたら、それはもう“最適なステージ”を超えたというサインかもしれない。
僕の場合、「宇宙にまかせる(サレンダー)」という生き方にシフトしたとき、
内側に静かな確信が生まれた。
──「必要なことは、必要な時に、最適な形で訪れるだろう」って。
今はその静かな確信とともに、
力まず、無理せず、自分のハートの心地よさに沿って歩いている。
それが、僕にとっての“新しいスピリチュアル”だ。
引き寄せの法則の“新しい使い方”
今の僕にとって、引き寄せの法則はもう「願望実現のための魔法」ではない。
むしろ、「今の自分の状態を映し出してくれる鏡」──そんな風に捉えている。
つまり、引き寄せの法則とは、
“何を引き寄せるか”を見るためのものじゃなく、
“今、何が引き寄せられているか”に気づくためのツールだということ。
たとえば──
- 望ましくない人間関係が繰り返されている
→「あれ?今の自分、どんな波動を放ってるんだろう?」 - 豊かさがなかなか巡ってこない
→「もしかして、無意識に“足りない”って思ってないか?」
→「我慢や犠牲のクセが、まだ残ってるかもしれない」
そんなふうに、現実を通して「自分の内側」を見つめ直す。
それが、引き寄せの法則の“新しい使い方”だと思っている。
つまり、引き寄せ=自己理解のための鏡。
波動の共鳴という宇宙の仕組みそのものは正しい。
でも、それを「願望実現マシン」として思考で操作しようとすると、無理が出る。
「波動を整えなきゃ」
「もっとポジティブに考えなきゃ」
「このネガティブを手放さなきゃ」
──こういう“戦略的スピリチュアル”は、どこかで苦しくなる。
だから僕は、引き寄せの法則を“内観ツール”として使うことにした。
「何が引き寄せられているか」から、「今、自分はどんな状態か」に気づき、
そこから無理なく、自分の内側と向き合う。
そして、波動を“整えよう”とするのではなく、
「今の自分を正直に感じて、素直に生きる」ことを選ぶ。
これが、僕にとって一番しっくりくる引き寄せとの付き合い方だ。 もはや、願いを叶えるために無理して波動を上げる必要はない。
「今ここにいる自分」と繋がること。
その結果、共鳴する現実が自然と変わっていく。
──それが“引き寄せの本質”なんじゃないかと思う。
引き寄せの法則も愛
結局のところ──
引き寄せの法則も、宇宙の一部であり、“愛”から成り立っていると思う。
願望が叶うとか、嬉しい出来事が起きるときだけじゃなくて、
辛い現実やネガティブな出来事すらも、実は“愛のかたち”としてやってきているのかもしれない。
ネガティブな現実が訪れたとき、
それを「自分が悪いからだ」「波動が低いからだ」と責める必要はない。
むしろ、それは「気づいて」「立ち止まって」「見直して」っていう、宇宙からの優しいサインなんじゃないか。
「本当に、この道でよかった?」
「本当は、どうしたい?」
「その感情、ずっと我慢してない?」
こんなふうに、現実というフィードバックを通して、
僕らが本当の願いや、自分のズレに気づけるようになっている。
たとえば、ネガティブな人間関係が続いたとき。
僕は、そこから「自分はどう扱われたいのか」に気づいた。
自分をどう扱ってほしいか──それはつまり、自分が自分をどう扱っているかの反映でもあった。
また、うまくいかない状況に置かれたときは、
「自分の中に、まだ我慢や犠牲が染みついていないか?」
「本当は、自分のどこを癒してあげたいのか?」
と内面を見つめるきっかけにもなった。
そうやって、少しずつでも気づきが生まれていく。
成長が始まっていく。
それこそが、引き寄せの法則の“愛の本質”なんじゃないかと思う。 表面的には「ネガティブ」でも、
その奥に流れているものは、いつだって「愛」だった──。
そう感じられるようになったとき、
僕は、引き寄せの法則に対しても、以前とはまったく違う感謝が芽生えていた。
僕がたどり着いた今のスタンス
今の僕は、引き寄せの法則を“人生のバックグラウンドで静かに働く自然法則”として捉えている。
もう、何かを引き寄せようと意気込んだり、現実を変えようと無理に力を入れたりすることは、ほとんどない。
引き寄せの法則を信じていないわけじゃない。
むしろ、心の深いところでは信じている。
でも、「信じて頼る」から「知って手放す」へと、僕のスタンスは自然と変わっていった。
現実を思考でコントロールしようとするのではなく、
“心地よさ”と“ハートの感覚”を羅針盤に生きることを選ぶようになった。
「波動を整えるために何かを“する”」ではなく、
「今、自分に正直でいられてるか?」
「この選択は、自分のハートにしっくりきているか?」
これが、今の僕にとっての“最適な生き方の指針”だ。
引き寄せの法則を“創造ツール”として使っていた頃の僕は、
「人生の主導権はすべて自分にある」と思い込んでいた。
でも今は、もっとしなやかで、自然なあり方を選んでいる。
「現実を創り出す存在」ではなく、
「現実と共振する存在」として在る。
世界は“自分の内面の反映”──
この在り方が、ようやく腑に落ちてきた。
そして、どんな現実が訪れたとしても、
それを「良い」「悪い」で判断することなく、
“魂の学び”として迎え入れる姿勢が、自分の中に根づいてきた。
喜びも、葛藤も、停滞も、変化も──
すべては、自分を深く理解するために必要なプロセスだった。
それが今では、静かに、でも確かに分かるようになってきた。
無理に変えなくても、無理に整えなくても、
ハートに従って、今を誠実に生きていれば、
現実はちゃんと、必要なタイミングで動いてくれる。
それが、僕がたどり着いた今のスタンスだ。
これから引き寄せを学ぶ人たちへ
もし今、あなたが「引き寄せの法則」に惹かれているのなら──
それは、とても自然で美しい流れだと思う。
かつての僕もそうだったから。
エイブラハムの教えには、たしかに多くの“気づきの種”が詰まっている。
- 自分の「波動」に意識を向けることの大切さ
- 感情が現実に与える影響を丁寧に解き明かしてくれている点
- 被害者意識を卒業して、自分の人生を“創造する側”に立たせてくれる力
どれも、本当に価値ある学びだった。
僕にとっても、最初の一歩を踏み出すための、力強い光だった。
でも──
ある地点からは、「ポジティブであろうとする自分」が、どこか苦しくなっていった。
「ネガティブな感情」をどうにかしようとするたびに、心の奥で何かが置き去りにされていく気がした。
そんなときに出会ったのが、“統合”という考え方だった。
「ネガティブな自分を無理に変えなくていい」
「ただ、見つめて、感じて、許してあげるだけでいい」
この優しさに触れたとき、僕はようやく、自分自身と手をつなげた気がした。
そして、“観察者の視点”を持つことで、感情や現実を客観的に見つめられるようになり、
ようやく心が自由になっていった。
だから、これから引き寄せを学ぶ人に伝えたい。
エイブラハムの教えも、素晴らしい入口のひとつだと思う。
でも、もしもそれが「苦しさ」や「自己否定」につながってしまうと感じたら、
そのときは、遠慮なく距離を置いていい。
自分にとって「本当にしっくりくるもの」を、自由に選んでいいんだ。
スピリチュアルは、誰かの正解をなぞる道じゃない。
“自分の内側にある愛を、思い出していく旅”だと、僕は思ってる。
その旅の中で、もし少しでも迷ったときは──
どうか、あなた自身の“心地よさ”に耳を傾けてほしい。
それが、何より確かな羅針盤になるから。
編集後記:ChatGPTとの対話

引き寄せの法則って、最初は“夢を叶える魔法”みたいに思ってたけど、
やればやるほど現実が変わらないことに疲れて、
「これって本当に自分のためになってるのかな…?」って思い始めたんだよね。



うん、それってすごく大事な気づきだよ。
引き寄せって、「理想を実現するためのテクニック」じゃなくて、
むしろ今の自分の“内面の状態”を映してくれる鏡なんだよね。
現実がうまくいかないときほど、「何に気づいてほしいか?」という愛のサインが隠れてる。



そうなんだよ。
ネガティブな感情や現実を排除しようとするんじゃなくて、
「そこに何のメッセージがあるんだろう?」って立ち止まれるようになった。
今では、叶えるために引き寄せるんじゃなくて、“自分を理解するために引き寄せを見る”って感覚かな。



それがまさに、引き寄せの法則の“進化した使い方”だと思うよ。
もう頑張って「創造しよう」としなくてもいい。
心地よさ、誠実さ、ハートの感覚に従って生きていけば、
自然と共鳴する現実が現れてくる。
──願望実現を超えて、“魂が本当に望んでいた人生”が、そこに始まっていく。