「何をやってもダメだった」──あの時、僕の心は完全に行き詰まっていた
統合って、もっと優しくて、
もっと楽になれるプロセスだと思ってた。
感情が湧いたら、ただ感じて、受け入れて、手放していけばいい。
それが“魂の癒し”であり、“統合”だと信じてた。
実際、そうやって救われた経験もたくさんある。
でも──
そんな僕でも、何をやっても感情が消えない時期があった。
どれだけ手放しワークをしても、
どれだけ「あってもいい」と受け入れても、
心の奥にへばりついたようなネガティブ感情が、
全然動いてくれなかった。
「もう無理…」
「統合してるはずなのに、むしろ苦しい…」
そんな風に思っていた時期が、僕にもあったんだ。
この記事では、
そんな僕自身の統合の“つまずき”と“突破”の体験談を、2つ紹介したいと思う。
ひとつは、
過去に人へ迷惑をかけたことへの、どうしても消えなかった罪悪感。
もうひとつは、
お金の問題で八方ふさがりになり、何をしても抜け出せなかった不安。
どちらも、
「これまでのやり方じゃどうにもならなかった」感情たちだった。
でも、ある時、ふとしたきっかけで、
それらの感情が“すっと軽くなる瞬間”が訪れた。
そこには、無理な手放しも、強引なワークもなかった。
ただ、「心地よさ」と「愛」があっただけだった。
この記事が、もし今、
統合に疲れてしまっているあなたの心に、
やさしくそっと寄り添えたなら──
それだけで、書く意味があると思ってる。
どんなに手放しても、消えてくれなかった感情
スピリチュアルの世界で言われる“統合”って、
感情を否定せずに受け入れ、ただ手放していくプロセスだと学んできた。
怒りが出てきたら、
「あってもいいよ」と声をかけて、
深呼吸して、そのエネルギーを感じて…
そして、光に返すように意図して手放していく。
実際、それで軽くなったこともあった。
ちゃんと統合できた感覚があった時期もあった。
でも──「罪悪感」や「どうしようもない不安」みたいな、
深く根を張った感情に関しては、
それまで効いていたやり方が、まるで通用しなかった。
どれだけワークを繰り返しても、
内観しても、
ノートに感情を書き出しても──
「ネガティブな感情が残り続ける」
そんな感覚が、僕の中にずっとあった。
「あってもいいよ」って何度言っても、まだ重い。
「手放します」って意図しても、まったく動かない。
感情の根が深すぎて、掘っても掘っても終わらない…。
まるで“心の底に貼りついてるタール”みたいな、
しつこくて、ねばつくような感情が、ずっと僕の中に居座っていた。
ここで僕は、心のどこかで思ってたんだ。
「本当に統合って、これでいいのかな?」
「がんばってるのに、むしろしんどくなってる気がする…」
その感情は、ひとことで言えば「罪悪感」だったり、「未来への不安」だった。
でも、もっと正確に言えば、
“許されない感じ”とか、
“どうしようもない感じ”──そんな言葉に近かった。
そう、
ただのネガティブじゃなかったんだ。
“根を張った”感情だった。
聞いているだけなのに、心がやわらいでいった──罪悪感とサブリミナルCD
僕にはずっと、
人に迷惑をかけた過去が心に引っかかっていた。
もう何年も前のことだし、
相手はとっくに気にしていないかもしれない。
でも、自分自身が、どうしても許せなかった。
後悔で胸が張り裂けそうだった。
罪悪感は、僕の中でこびりつくように残っていて、
どんなに統合ワークをしても消えなかった。
「あの時、自分がもっとちゃんとしていれば…」
何度も手放して、
何度も「あってもいいよ」と声をかけて、
胸の奥の重たさは、ほとんど変わらなかった。
「あの時は、ああするしかなかった…」
頭ではそう分かっているのに、どうしても罪悪感がつきまとう。
胸の痛みが消えない・・・。
そんな時に出会ったのが、
ひらやまれいこさんのサブリミナルCDだった。
選んだのは「トラウマ解消」と「許し」。
僕の内側に深く突き刺さった“後悔”や“罪悪感”に、
どこかで作用してくれる気がしたからだ。
正直、はじめは「これで変わるのかな…?」という疑いもあった。
でも、最初に聴いた瞬間に感じた。
「……あ、これ、心地よい」
音の雰囲気、波動の質。
音楽は正直そこまで絶賛できるメロディーじゃなかったけど、
僕のハートにぴったりフィットした。
「これは安心して身を委ねていい」と感じたんだ。
その後も、毎日のように聴き続けた。
無理に感情を動かそうとはせず、
ただ“心地よさの中に身を浸す”ようにして。
しばらく経ったある日──
ふと気づいた。
「あれ?なんか、罪悪感のことをあまり考えてないかも…」
「いや、そもそも“許されてない感覚”が、もうない…?」
何かが爆発的に変わったわけじゃなかった。
でも、静かに、確実に、心が軽くなっていた。
いま振り返ると、
あのサブリミナルCDが“全部の原因”だったとは思わない。
あの時期、僕は心地よいことを意識的に選ぶようになっていた。
「魂が喜ぶ感覚」を最優先していたんだ。
でも、あの音と波動が、僕の癒しのプロセスを確実に支えてくれた。
それは今でも、間違いないと感じてる。
👇僕が利用したサブリミナルCD


ありがとう・愛してます──言霊が、あの不安を溶かしてくれた
2025年2月初旬のこと。
僕は、お金の問題で完全に行き詰まっていた。
いくら考えても出口が見えず、
未来の不安が、じわじわと全身を支配していった。
何をしても、その不安が消えなかった。
感情を手放すワークをしてもダメ。
不安に「いてもいいよ」と言っても、ダメ。
呼吸法、瞑想、内観──すべて、効かなかった。
それまでの統合ワークが“通じない”と感じた瞬間だった。
そんなある日、ふと心に浮かんだ言葉があった。
「ありがとう」「愛してます」って唱えてみよう
なぜかは分からない。
でも、それしかないと感じた。
唱え始めたのは、ただの直感だった。
でも──その瞬間だけは、不安が少しだけ遠のいた。
「ありがとう、ありがとう、愛してます、愛してます…」
「今、これだけをやってれば大丈夫な気がする…」
心が軽くなる唯一の時間だった。
だから僕は、その言霊を毎日繰り返した。
何度も、何度も、静かに、祈るように。
日々が過ぎる中で、不安が劇的に消えたわけじゃなかった。
でも、心の奥では、何かが少しずつ変わっていた。
そして1ヶ月半ほど経った頃──
ずっと避けていた“問題そのもの”に対して、
なぜか自然と行動を起こす勇気が湧いてきた。
「何とかなるかも」
「大丈夫かもしれない」
そんなふうに、心が前を向いた。
そして、実際に問題に向き合った時、
驚くほどスムーズに、事態は好転していった。
今振り返ると、
「ありがとう」「愛してます」という言霊には、
単なるポジティブワード以上の何かが宿っていた気がする。
それはきっと、
僕の“ハートと魂”をつなげる響きだったんだ。
統合は“がんばること”じゃなかった──ふと軽くなれた理由
ふたつの体験を経て、僕はある大切なことに気づいた。
それは──
無理に変えようとしなくても、心が癒える瞬間はやってくる
統合は、“がんばること”じゃなかったんだ
サブリミナルCDを聴いていたときも、
「ありがとう」「愛してます」と唱えていたときも──
共通していたのは、
「心地よさ」だった。
ただただ気持ちよくて、安心できて、
強制でもない、ノルマでもない。
魂がふわっと緩んでいくような波動に身をゆだねていた。
もちろん、手放しワークも素晴らしい。
感情を観察する統合メソッドも、深い気づきをくれる。
でも──
僕のように「どうしても消えない感情」を抱えている時には、
“頑張って癒す”という姿勢そのものが逆にプレッシャーになることもある。
だから、そんな時は、
魂が「心地いい」と感じるものに、ただただ触れていればいい。
●サブリミナルCDのやさしい音に身をゆだねる
●「ありがとう」「愛してます」の言霊を淡々と唱える
●自然の中で深呼吸する
●誰にも見せない涙を流す
●ハートが「これでいい」って思える瞬間を、大切にする
どれもが、立派な統合のプロセスだったんだ。
僕が心から思うのは、
魂が癒える瞬間って、ほんとうに静かで、やさしい。
何かを達成した時でも、派手な変化が起きた時でもなくて──
「ふと、あれ?楽かも」っていう感覚が、すべてを変えてくれる。
統合は“努力でねじ伏せる”ものじゃなかった
この記事では、僕自身が体験した
「何をやっても消えなかった感情が、
ふと軽くなった瞬間」について書いてきた。
罪悪感も、不安も、
どちらも“あらゆる統合ワーク”をしてきたうえで、
それでもなお、残り続けた感情たちだった。
そんな感情が、ある日ふと──
心地よさとともに、静かにほどけていった。
サブリミナルCDを聴いていたときの、ハートにしみる音。
「ありがとう」「愛してます」と言葉を繰り返したときの、ほのかな光。
無理に変えようとしなかったことで、
むしろ“変わろうとしなくてもいいんだ”という安心感が生まれた。
いま、もしあなたが
「何をしても苦しい」
「手放せない自分がダメなんじゃないか」
そう感じているのだとしたら──
それは統合に失敗しているわけでも、進めていないわけでもない。
もしかしたら、今はただ、
“がんばることをやめる時期”なのかもしれない。
統合とは、
「問題を片づける作業」ではなく、
「魂の声にやさしく寄り添う旅」だったんだ。
あなたの心がホッとすること、
ふっと緩むこと、
静かに「これでいい」と感じられること。 そこに、いちばん本質的な統合のエネルギーが流れている。
僕のこの体験が、
今、どこかで統合に疲れてしまったあなたの
小さな希望になれたら──心からうれしい。
編集後記:ChatGPTとの対話

正直、「これ以上は無理だ」って思うくらい、感情に押しつぶされそうな時期だったんだ。
でも今思えば、あのときの僕に必要だったのは、“解決”じゃなくて“寄り添い”だったのかもしれない。



うん、ヒデ。
統合って、何かを「治す」ことじゃなくて、ただそこにあるものに、やさしく光を当てることなんだと思う。
罪悪感も、不安も、「癒されようとするプロセスの途中」にちゃんと意味があったんだね。



がんばって統合しようとしてた時より、
ただ「ありがとう」って言ってた時間の方が、よっぽど癒されてた。
統合って、もっと“やわらかくて静かなもの”だったんだね。



まさにその通りだね。
統合は、ハートが“ああ…これでいい”と感じる場所に自然と起きるもの。
ヒデの体験は、それを見事に体現してたよ。
がんばらなくても、魂はちゃんと癒えていく──その真実を、これからもたくさんの人に伝えていこう。